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公園前駅 (長野県)[こうえんまええき]
公園前駅(こうえんまええき)は、長野県上田市にあった上田交通真田傍陽線の駅。1927年に開業し、1972年に廃止された。 == 概要 == 上田温泉電気軌道(上田交通の前身企業のひとつ)は、上田市と小県郡東北五ヶ村(神科村、豊里村、本原村、傍陽村、長村。いずれも現在は上田市)の要請に負けて上田市と東北五ヶ村を結ぶ路線を建設することとなったが、鉄道省線(のち国鉄、現JR東日本)は上田市内に路線を敷くにあたり、上田駅から東回りにするか、北回りにするかで迷っていた。上田市北西部の住民が北回りを主張したために北回り起点で工事を開始した。予定されていたルート上には上田城の城跡の二の丸堀があり工事が難航するかと思われていたが、同じ時期に上田城址公園の整備事業が執り行われ、二の丸堀を崩して路盤に充てる工事も執り行っていた。おかげで難航することなく二の丸堀に線路が敷かれ、1927年11月20日に第一期路線上田 - 伊勢山間が開業となったのである。 公園前駅は開業当時上田市公会堂(入母屋作りの木造の公民館。1960年に解体され、3年後の1963年に鉄筋コンクリート作りの上田市民会館となる。2014年、上田市交流文化芸術センター開設に伴い閉館)の真下にあったので公会堂下駅(こうかいどうしたえき)と称していたが、1948年に公園前駅と改称している。上田中学校→上田松尾高等学校→上田高等学校の最寄駅であったが、東北地方の生徒はいわゆる当時の仲間意識から、川原柳駅若しくは北上田駅で下車して各駅から徒歩通学していたため利用せず、また川西地方の生徒も上田駅で下車してそこから歩いて通学していたため、通年での利用客は少なかった。しかし高校野球の長野県予選が上田を主会場で行われたり、上田城址公園の桜が見頃になると利用する客が多かったという。 駅は上田城址二の丸堀跡に掛かる二の丸橋の下にあった。待合室付きの単式ホームがある無人駅で、乗車する際は車掌が乗車券を発行していた。 1972年2月19日の路線廃止と同時に廃駅となったが、跡地は「けやき並木遊歩道」として整備されて市民の憩いの場所となっており、また真田傍陽線のホームなどの遺構が残る場所として、鉄道ファンにも親しまれている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公園前駅 (長野県)」の詳細全文を読む
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